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お茶と歴史

茶町
~歴史が積み重なるお茶のまち~

●静岡市葵区茶町 ~400年の歴史を持つ日本茶の中心基地~

現在の茶町通り

 JR静岡駅の北西約1.5~2kmほどのところに、茶町茶町通りがあります。茶町は、江戸初期に茶商が集められたことに始まり、現在も住居表示に使われる地名です。茶町の周辺地区にも茶業関係企業が集まる「茶産業の一大集積地」となっています。

 茶町を含む静岡市中心部は、静岡県の中ほどを流れる安倍川の東側にあり、かつて、徳川家康公が安土桃山時代から江戸時代初めにかけて築いた駿府城の城下町でした。
計画的な区割り(都市計画)のもと、武家、寺社、町民が配置され、駿府九十六ケ町の都市が形成されました。町民は職種ごとにエリアが割り当てられ、茶を商うものが集められた場所が「茶町」(ちゃまち)となりました。記録によると、駿府茶町の商人は、安倍川上流で栽培されたお茶「安倍茶」を集め、市中に販売していたそうです。江戸時代に創業し、現在も営業を続ける茶商もあります。

 地域内の流通から始まった茶町の茶商は、次第に他地域への販売を増やしました。特に、幕末の横浜開港とお茶の輸出開始により、静岡県各地のお茶を集め、横浜港へ送る集散地として、大きな役割を担うことになります。同時に、粗悪な茶の排除や茶の品質向上に努め、茶商の連帯も強くしていきました。1906(明治39)年、茶町から東へ15kmほどのところにある清水港からお茶の直輸出が実現すると、輸出茶を仕上げる再生工場が爆発的に増加しました。都市のインフラの整備も進み、茶町はもとより、静岡市街地一帯が大きく発展するきっかけにもなりました。

安西通り

 戦後は、茶町を取り囲む北番町(きたばんちょう)安西(あんざい)などの地区に、茶の取引所である静岡茶市場、茶業団体の事務所が構えられ、製茶問屋の工場や大型倉庫も次々と建てられました。この時代、荒茶の仕入れは、静岡県内はもとより、四国、九州など西日本に広がり、仕上げられたお茶は全国へ、海外へも届けられています。拡大する茶町には、見本を持ち歩く才取(さいとり)、仕上げを行う再生工場の職人など、細分化され、特化された役割と技能の専門家が働いていました。同業者による研修会、運動会、縁組なども盛んに行われ、密接なコミュニティのつながりが繰り広げられていたそうです。

 近年、茶町には茶業以外の事業所やマンションも増えましたが、日々の取引のために早朝からたくさんの自転車や車が行き交い、お茶を加工するさわやかな香りが漂うところは変わりません。また、茶町と周辺の歴史、茶業集積地としての特性が再評価され、「お茶のまち」らしいまちづくりや茶商などをめぐるユニークな旅行も盛んになりつつあります。


「駿府96ケ町 茶町」の碑

説明板記載内容:
駿府96ケ町のうち 茶町(ちゃまち)

町名の由来について、江戸時代の地誌『駿国雑誌(すんごくざっし)』には、「左右の商家、安倍足久保の茶を爰(ここ)に集め、精粗(せいそ)を撰(すぐ)りて府中(ふちゅう)に出す、故(ゆえ)に名とす。」と記されています。茶町は古くから安倍山中で生産した茶を売買する商人の町でした。
『元禄五年(一六九二)駿府町数并家数人数覚帳(すんぷまちかずならびにいえかずひとかずおぼえちょう)』によると、当時の家数及び人数は茶町一丁目が家数二十四軒、人数百五十六人、茶町二丁目が家数二十四軒、人数九十五人でした。
茶町周辺は、今も茶問屋が軒を並べ、「お茶所 静岡」の伝統を支えています。

全国の茶業者にはお茶の聖地なんだって。
私はお茶カフェやスイーツめぐりを楽しみたいわ!

●藤枝市茶町 ~歴史を物語る街並み~

 静岡県のほぼ中央にある藤枝市は、田中城の城下町であり、東海道五十三次の江戸から数えて22番目の宿場町として栄えました。今日でも、旧東海道沿いには、江戸時代創業の事業所が少なくありません。

藤枝市茶町の街並み

 藤枝市茶町は、その東海道の北側に隣接する地区です。藤枝市を含む志太地域では、少なくとも江戸時代にはお茶がつくられており、手揉み技術伝習所も開いて、地域ぐるみで品質の向上に努めていました。江戸末期にお茶の輸出が始まって以降、茶の栽培地に近く、交通の便の良い藤枝にも茶商が集まり、輸出用のお茶を扱うようになります。そして、静岡市の茶町と同様、お茶の集散地として繁栄します。その地の利から、藤枝市内生産のお茶に限らず、大井川上流の川根、島田市北部の伊久美、大井川中流の金谷、下流の牧之原などのお茶を得意とする茶商もいます。

明治に建てられた製茶貿易会社の洋館

 今日の藤枝市茶町の魅力は、茶町に多くの茶商が残り、風情ある古い町並みを形成していることです。馴染んだ色合いの木造建築が並んだり、敷地内に古い茶の仕上げ工場や機械が残されたりしています。瓦屋根、木造建築、漆喰の蔵などが並ぶエリアに立つと、ふっと時代をさかのぼった錯覚に陥ります。
 一方、茶町のこうした純和風エリアから少し歩くと、とんがり屋根の3階建て洋館が目に飛び込みます。清水港の開港を受け、1901(明治34)年に設立された藤枝製茶貿易会社の社屋だった建物です。釘を使わない伝統工法で、中には拝見場、荷受場、再製(仕上げ)加工場などがあり、輸出用のお茶がつくられていました。「茶」の字が刻まれた鬼瓦が、今も屋根に残っています。

 藤枝では、NPO、茶業者、市民などが連携して、歴史と茶文化に親しむイベントを開催しています。古い茶工場でのコンサート、この時限定のカフェ、建物の見学、街かどギャラリーなどで、普段は見ることのできない茶町を満喫できます。

風情ある和風の街並みの中では、日本茶が一層おいしく感じそう!

●各地にみるお茶にちなむ地名

 「茶町」の地名は、現在、静岡市と藤枝市のほかにも残っています。奈良県の大和郡山市と磯城郡田原本町、鳥取県の鳥取市や米子市には「茶町」が、島根県松江市には、「東茶町」「西茶町」があります。
 一方で、住居表示の変更により、「茶町」が住所として使われなくなった地域もあります。秋田市ではかつて、茶、紙などを扱う豪商がいた地域を茶町梅ノ丁、茶町扇ノ丁、茶町梅ノ丁の茶町三丁と呼んでいましたが、それらは旧町名となっています。
 「茶町」に似た地名で「茶屋町」があります。江戸時代、街道沿いや社寺の前で、旅人や参拝客が一服した茶店、あるいはより娯楽性の高い料亭などの茶屋が建っていたことから名づけられました。現在も残る「茶屋町」の表記は、東京都の世田谷区三軒茶屋や葛飾区お花茶屋、大阪市北区茶屋町、岡山県倉敷市茶屋町などです。金沢市の「ひがし茶屋街」、「主計町茶屋街」と呼ばれるエリアは、江戸時代の風情を残す町並みで、観光客にも人気が高い場所です。

 「茶畑」は、お茶の栽培地につけられそうな名前ですが、これが意外にも、東北地方に多い地名です。青森県、秋田県、岩手県、宮城県仙台市と登米市、福島県の福島市、須賀川市、伊達市のほか、静岡県裾野市、鳥取県西伯郡大山町などに茶畑という地名が見られます。

お茶にちなんだ地名の歴史を紐解いたり、土地のお茶文化に親しんだりするのも楽しそう!