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お茶と歴史

留学僧が伝えたお茶 ~日本のお茶文化の夜明け~

●仏教とともに伝えられた文化や先進技術

 日本は、古くから中国や朝鮮半島と交流をしてきました。大和時代、朝鮮半島の百済王から仏像、経巻を贈られ、日本に仏教が伝来します。朝廷は仏教を正式に取り入れ、飛鳥寺、法隆寺などが建てられるようになりました。
 この頃から、仏教関係者の往来が増えます。奈良時代の鑑真和上、江戸時代の隠元禅師など中国の高僧が仏教興隆のため日本へ渡ります。また、日本の僧も中国へ渡り、修行に励みます。
 日本からの留学僧は、中国滞在中に現地の進んだ技術や生活にふれ、関心を高めていたようです。修行を終え日本へ帰るときは、経典などとともに中国の技術や文化も携え、日本に紹介しました。建築、彫刻、製粉、印刷、医薬など、現在日本になじんだ技術や文化には、留学僧や来日した中国の渡来僧によって伝えられたものがいくつもあります。お茶も、こうした僧侶たちによって日本に伝えられ、その後の日本に大きな影響を及ぼします。

お茶を伝えた僧侶たち

最澄(伝教大師)

 日本にお茶の種や栽培技術、喫茶方法をもたらしたのは、奈良時代から平安初期の頃の僧侶が始まりと言われています。この頃、中国は唐の時代。世界初の茶の専門書「茶経」が著され、揚子江周辺をはじめ、各地にお茶の産地が形成されていました。この時代のお茶は団茶で、茶葉を蒸して団子のように固めた状態で乾燥保存し、飲むときは必要な分を削った粉を煎じていました。
 日本からたびたび派遣された遣唐使は、お茶の産地近くにも滞在しています。使節団を構成する役人や技術者、僧侶などは、中国滞在中にお茶に出合い、眠気を覚まし、体調不良を改善する不思議な力に魅了されたのかもしれませんね。

平安時代の仏僧:最澄、空海、永忠平安時代の仏僧:最澄、空海、永忠

 平安時代、804年の遣唐使と同船で中国に渡った最澄空海、同時期を中国で過ごした永忠は、それぞれ中国からお茶を持ち帰りました。これが、日本のお茶の始まりと言われています。

鎌倉時代の仏僧:栄西禅師、聖一国師、大応国師

 平安になって100年後には遣唐使が廃止され、お茶の栽培や喫茶は国内で静かに受け継がれます。次に中国からの伝来をうかがわせるのは、平安末期から鎌倉時代です。中国が宋の時代で、それまでの団茶の様な固形のお茶に加え、蒸し製の散茶も飲まれていたようです。

 3名の高名な僧のほかにも、中国から茶器を伝えた者、日本での茶を植えた者などもおり、日本での茶の普及が進みました。

厳しい修行の眠気覚ましとしても、お茶が重宝がられていたそうよ。