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ヨーロッパ、アメリカのお茶文化
~紅茶で世界を動かした国々~

アジアでうまれ、ヨーロッパで愛された紅茶

 大航海時代以降、日本や中国を訪れた探検家や宣教師は、それまで見たことのない飲み物を母国に伝えています。神秘の飲み物「お茶」が、ヨーロッパで飲まれるようになったのは、日本が江戸時代に変わる頃でした。
 お茶の生産地であるアジアからは、ポルトガル、オランダ、イギリスは海路で、ロシアは陸路で輸入していました。鎖国前の日本から緑茶が送られたこともありますが、その後1世紀程の間に、ヨーロッパへ運ばれるお茶のほとんどが紅茶になりました。
 貴族など一部の限られた人しか口にできなかった貴重な飲み物も、次第に輸入量が増え、産業革命などで豊かになった労働者階級の人々にとっても楽しみになりました。一方で、ヨーロッパの中には、この時代の国際関係を背景に、紅茶よりもコーヒーを熱心に飲むようになった国もあります。
 アメリカへは、ヨーロッパからの移民とともにお茶がもたらされました。
 イギリス、ロシア、アメリカは、現在も世界トップのお茶輸入国です。そのほとんどが紅茶ですが、近年、緑茶が体に良い飲み物として注目されるようになってきました。アメリカ、カナダ、ドイツ、フランスなどへは日本から緑茶が輸出され、ティーショップで販売されたり、料理やスイーツの素材として使われたりして親しまれています。アメリカではペットボトルなどに入った茶飲料も普及してきています。

英国は紅茶の王国

社交の場も、日常生活も、紅茶が欠かせない英国

 イギリスは、世界の紅茶の中心地。紅茶が国家の歴史に大きくかかわり、人々の生活に密接している国です。
 紅茶が英国民に親しまれるようになったきっかけの一つが、1662年、英国のチャールズII世とポルトガルの皇女キャサリンとの結婚です。この時代、ポルトガルには英国より一足先に、美しい茶器を用いた喫茶習慣が育っていました。キャサリン妃は、持ち込んだ美しい茶器で頻繁に紅茶を飲み、英国王室や貴族の注目を集めます。これが、上質な茶器とともにおいしい紅茶と人々とのコミュニケーションを楽しむ、英国式紅茶文化の発展へと続きます。
 優雅なティー・タイムとして知られるアフタヌーン・ティーは、イギリスの代表的な紅茶文化の一つです。18世紀中ごろ、貴婦人が夕方の空腹をしのぐために摂ったお茶と軽食が、次第に社交の場に発展したと伝えられています。主人が淹れるお茶を飲みながら、上品なケーキやサンドウィッチをいただき、会話を楽しみます。テーブルセッティング、メニュー、食器の扱い、会話術などに細やかなエチケットが伝えられているのも貴族の習慣らしいですね。

 このほかにも、朝の目覚めにいただく「アーリー・ティー(ベッド・ティー)」、労働者階級の食事として始まった「ハイ・ティー」、夕食後のくつろぎのための「アフターディナー・ティー」などの喫茶習慣も作られました。
 紅茶好きの英国では、現在もたくさんの紅茶が飲まれています。朝起きて一杯、朝食に一杯、仕事の合間に一杯・・・と、頻繁に紅茶を飲みますが、一般家庭では、簡便で気軽に飲むことのできるティー・バッグの紅茶が使われるようになっています。

●極寒の国・ロシア流の紅茶の楽しみ

中国からロシアへ、お茶の長い道のり

 1689年にロシア南東部で中国との国境が確定する前から、この周辺に住むアジア系移民に向けてお茶が移入されていました。表立って輸入が始まった頃は、牛車やラクダにお茶を乗せた大規模なキャラバン隊が、モンゴルやシベリアを何カ月もかけて移動していたそうです。
 19世紀後半のスエズ運河の開通やシベリア鉄道の建設は、新たな茶の運搬方法となり、輸入に拍車をかけます。1世紀半続いたラクダの商隊と沿線の中継都市は、やがて廃れますが、第1次世界大戦までには、ロシアはイギリスに次ぐ輸入国になりました。
 ロシア(ソビエト連邦)ではまた、良質なお茶をたくさん手に入れようと、中国にロシア資本の茶工場も作りました。黒海に面して温暖なグルジアでの茶の生産にも挑戦し、現在に至っています。

●ロシア生まれのティー・サーバー「サモワール」

 冬は摂氏マイナス30度以下になり、永久凍土も残るロシア。人々は体を温める工夫を様々にしてきました。ロシアと言えば、アルコール度数の高い蒸留酒「ウォッカ」が有名ですが、それと並んで人々に好んで飲まれたのが、熱い紅茶です。砂糖をかじりながら、あるいはジャムを舐めながら、熱い紅茶を飲む習慣が根付いています。

 ロシアでは、「サモワール(ロシア語表記:самовар)」と呼ばれる独自の卓上湯沸かし器が発達しました。伝統的なサモワールは、金属製の壺で、中には水を入れるタンクと燃料を入れる筒があります。面白いのは、タンクの下の方に蛇口がつき、壺の上にはティー・ポットを乗せられるようになっています。両手で持つぐらいの大きさから、豪華なものは、高さ1メートルぐらいの大きいものもつくられました。
 炭を熱してサモワールの中の湯を沸かすと同時に、上に乗せたティー・ポットで煮出すように濃いめのお茶を作ります。お茶を飲むときは、ティー・ポットのお茶をカップに注ぎ、必要に応じて蛇口の熱い湯で好みの濃度に薄めます。
 お茶の普及とともに、サモワールはロシアの人々に欠かせないものとなりました。家庭の必需品となり、社交の場では豪華なサモワールを使ってお茶が振る舞われました。サモワールは近代ロシアの国民的作家であるプーシキンやチェーホフの作品にも登場し、当時の様子をうかがうことができます。

資料

『平成23年版 茶関係資料』 社団法人日本茶業中央会, 2011年
『年表 茶の世界史 新装版』 松崎芳郎編著, 八坂書房, 2007年
『お茶の歴史』 ヴィクター・H・メア/アーリン・ホー共著, 忠平美幸訳, 河出書房出版, 2010年
 News Release「How to make a Perfect Cup of Tea」 Royal Society of Chemistry,  2003年