ホーム  お茶と歴史  もてなしとしてのお茶

お茶と歴史

もてなしとしてのお茶 ~茶道の発達~

●茶禅一味 ~禅から始まった侘び茶~

 室町時代、華美な茶寄合(闘茶)がエスカレートする中、質素で精神的な茶の世界を求める動きが生まれました。

茶室の躙り口

 新しいお茶のスタイルに道を拓いたのは、室町時代の僧・村田珠光(むらたじゅこう、1423-1502年)です。
珠光は、マンガ「一休さん」のモデルでもある京都大徳寺の一休禅師や、第8代将軍・足利義政側近の能阿弥(のうあみ)などと親交がありました。禅寺の厳しい規律に茶礼作法の基本を求め、高価で派手な道具や茶室を控えました。

ほの暗い茶室内部

路地のつくばい

 珠光の精神に学んだ一人が、堺の商人の武野紹鷗(たけのじょうおう、1502-55年)です。
紹鴎は珠光が亡くなった年に生まれ、歌や茶を学び、仏門に入ります。簡素を尊ぶ自らの茶を「侘の茶」と呼び、堺の豪商たちとともに茶の改革を進めました。

 武野紹鴎に茶を学び、若い時から一目置かれていたのが、史上最も有名な茶人・千利休(せんのりきゅう、1522-91年)です。迎える亭主と訪れる客がお茶を挟んで静かに心を通わす茶の湯を深く追及し、侘び茶を確立しました。
 利休にとって、茶の湯は、仏道を修めて悟りをひらくことに通じていました。その精神に合うよう、茶の湯の様式を磨き上げます。高価な名物の茶道具ではなく、庶民でも手に入れやすい材料や道具を用いました。
茶室は、草葺き、土壁の質素なつくりとし、障子の窓から軟らかな光を入れた二畳や三畳の空間に研ぎ澄ましました。
茶室の外には腰掛け、踏み石や植え込みなどを設け、路地も客をもてなす場として整えました。

 利休の深みのある茶の世界は、織田信長や豊臣秀吉をも惹きつけます。重要ポストに登用されて天皇にも茶を点てましたが、茶においては身分の上下はないものとして、侘び茶の精神を当時の社会にあまねく伝えました。

混沌とした時代に昔人は、お茶を一服しながら侘びの境地を求めていたのね。

大名に好まれた茶の湯、自由な気風の煎茶道

 利休の茶の湯の継承者には、町人大名が並びます。このうち大名では、利休に学んだ古田重然(織部)や細川忠興(三斉)、孫弟子の小堀政一(遠州)が特に熱心でした。

 織部(おりべ、1544-1616年)は徳川家康や秀忠に茶を献じて「茶道御師範」の号を賜りました。陶工に独自に作らせた焼き物は、織部焼の始まりです。
三斉(さんさい、1563-1646年)は当代随一と言われる文化人で、千利休の侘び茶を、そのままのスタイルで忠実に継承しようと努めました。
遠州(えんしゅう、1579-1647年)は王朝文化にも通じており、侘び茶に明るさや美しさを添えました。その影響は華道や日本庭園にも広がっています。

 彼らが活躍する間に時代は戦国から江戸へ移り、社会も安定してきました。茶の湯も、世の泰平を保ち、人々の心をつなぐ場として、なお求められます。
 江戸時代後期の大名茶人としては、出雲松江藩主の松平治郷(不昧・ふまい、1751-1818年)公が特に名高いでしょう。松江は、今も不昧公好みの茶器や銘菓を伝え、茶の湯が盛んな、文化の香り高いまちです。

煎茶道のもてなしの一場面

 少しさかのぼって江戸中期には、煎茶のフロンティアが現れます。
黄檗宗の禅僧・高遊外(こうゆうがい、1675-1763年)は、修行を積んだもののその道を捨て、一時期、京都で茶を振り売りする生活をしていました。そのため、売茶翁(ばいさおう)とも呼ばれています。
 彼の茶は、当時まだ珍しい煎茶で、自ら淹れて飲ませていました。日本の煎茶は、中国の隠元禅師(いんげんぜんじ、1592-1673)が、江戸前期の1654年に釜炒り茶の製法、喫茶法とともに来日したのが起こりです。
隠元禅師が開いた宇治の黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)も訪れたことのある売茶翁は、煎茶の喫茶法を独自に高めました。多くの文化人、知識人に注目され、後の煎茶道につながります。

一服一煎を独自のスタイルで貫いた売茶翁が、江戸時代に煎茶をブレイクさせたのね!

●総合芸術への広がり、今の生活につながる茶の湯

 茶の湯は、知るほどに奥が深いものです。行き届いたおもてなしをどのようにあらわすか、マニュアルでは説明できない高い精神性は、時代を超え、国境も越えて人々を魅了してきました。また、幅広い分野にまたがる総合芸術という性質も見逃せません。茶の湯を学ぶとお点前が上手になるだけではなく、やきもの、華道、書道、山野草、和服などにも興味が広がり、人生を豊かにしてくれるでしょう。
 社会的にも、茶の湯は、それを成り立たせるに必要な茶の製造や茶道具、建築、造園、料理、菓子、服飾などの技術を高め、受け継ぐのに役に立ってきました。
例えば、千家十職(せんけじっそく)。代表的な茶道流派の茶道具を誂える職家の総称で、無形文化財級の技術者が流派の作法や好みを熟知し、茶碗、釜、塗、指物、袋、表具などの逸品を育ててきました。

和菓子(主菓子)

茶懐石の流れをくむ松華堂弁当

 また、茶の湯で磨かれたが、私たちの生活に身近なところで生かされているものもあります。和菓子や日本食はその代表例でしょう。
お茶会のひそかな楽しみでもある美しい和菓子、厳かな茶事で供される懐石料理は、季節を感じさせ、味わいも見た目も繊細で手の込んだものです。これらは日本食を芸術の域に高め、世界中にファンを作るのに大いに貢献しているでしょう。
宴会、会席などに供される松華堂弁当は、茶懐石の流れをくみ、懐石料理を弁当にアレンジしたものです。
今度松華堂弁当をいただくときは、茶懐石に倣って、一品ずつ食してみてはいかがでしょうか。

日本文化の美しさや至高の技には、茶の湯の影響を受けたものが多いのね!